「できるけど、しんどい」——私のグレーゾーン


「できないわけじゃないけど、明らかに他の人より労力がかかっている気がする・・・」

仕事や勉強、スポーツ、もしくは日常生活で一度はそんなことを思ったことありませんか?

今回はできる・できないの中間、いわば「グレーゾーン」について自分の考えを書いてみようと思います。

私のグレーゾーン

私自身が特にそう感じるのは、人とのコミュニケーションの場面です。

話すこと自体はできるし、表面的には普通に会話もこなしていると思っています。

でも実は、相手の表情や言葉の裏を無駄に読みすぎたり、会話が終わったあとに

「今の返しは不快になっていなかったかな・・・
と一人反省会を開いたりと、毎回エネルギーを使っています。

人と関わるという行為が、他の人よりも何倍もしんどく感じられることがよくあります。

こういうグレーゾーンが日常生活の中に存在すると、地味につらいです。

特に、他の人が「当たり前に」できていることが自分には難しかったりすると、自分を責めてしまう。

「なんでこんなことで疲れてるんだろう」って、落ち込むこともあるし、そういうことを難なくこなしている人たちがものすごくうらやましく思えたりもします。

憧れの先輩と、自分

学生時代、尊敬していた先輩が二人いました。

どちらも気さくで自分から人に話しかけていく、仲良くなるのも上手、自分のこともそつなくこなせるような人でした。

完璧!!・・とまではいかなくても、それでも「すごいなぁ」とたびたび感心していました。

そういう人たちと比べて、
「自分はなんでこんなに一つ一つのことに疲れてしまうんだろう・・・」
と自分を卑下してしまう時もありました。

しかし、最近ではちょっと考え方が変わりつつあります。

「当たり前」は本当に当たり前?

そもそも、「できて当然」とされていることって、環境や状況が少し違えばまったく当然ではなかったりします

またできる人は、その分野で戦いやすい場所に立っているだけ、ということも多い。
それ自体は喜ばしいことです。

しかし、だからといってできない人を批判していい理由にはならないと思うんです。

無理して合わせようとするより、「自分はここが苦手なんだな」と受け止めて、そのしんどさが発生しにくい場所を選んでもいい。

そういう選択肢がもっと認められていいと思います。

特に日本では苦手なことでも安定の道であれば、我慢することが美徳とされる文化が根強く残っています。

だからこそ自分に合った生き方をこだわることに意識しましょう。

自分に合った環境を探すということ

私はまだ模索中ですが、いずれは「グレーゾーン」が表面化しにくい環境で生活したいと考えています。

たとえば、対面でのコミュニケーションが少ない働き方とか、自分のペースで物事を進められるような環境とか。

それがすぐに見つからなくても、「目指したい場所」があるだけで少し気が楽になるような気がしています。

「できるけどしんどい」は、目に見えにくいけれど確かに存在する感覚です。

そんな自分の感覚を無視せず、うまく付き合っていくために、できることから少しずつ環境を整えていけたらいいなと思っています。



ここまで読んでいただき、ありがとうございました!!!

↓合わせて読みたい記事

コメント

タイトルとURLをコピーしました