「完璧主義」じゃない、「不完全恐怖症」なんだ。

「気にすぎじゃない?」
これをよく言われる人、いるんじゃないですか?

発言している本人にとっては何気ないひとことですが、気にしすぎる人にとってはその発言自体も気になってしまいますよね。

今回はそんな「気にしすぎ」について、私の考えを述べたいと思います。

もしよければ最後まで読んでみてください。

「完璧主義」の違和感

そこまで多くはありませんが、私も「気にしすぎ」と言われた経験があります。

気にしすぎな人についてネットで調べていると、「完璧主義」の傾向があると書かれていることが多いです。

ただ私はこの「完璧主義」というワードに、少し引っかかる部分がありました。

そんなたいそうなものではないというか・・・

それはあくまで、向上心の塊のような人がより高みを目指すための思考であり、自分のそれはそこから来ているものではないような気がしてならなかったからです。

ではこの気にしすぎはどこから来ているのか?

それは完璧主義ではなく「不完全への恐れ」、すなわち「不完全恐怖症」なのではないかという考えに至りました。

不完全恐怖症と減点方式

文字通り、不完全に対して恐怖する症状を指します。

生まれつきの気質や過去の経験から、自分の成果が誰かから指摘されることを恐れ、事前に回避するための行動をとる・・・これが「気にしすぎ」の正体だと考えています。

気にしすぎることは、なんら悪いことではありません。
場合によっては良い成果を生み出せますし、そもそも私たちは気にしすぎることを助長する環境で育ってきています。

私たちは何かを評価するとき、加点方式減点方式の片方、もしくは複合したものを用いて評価します。

その人の能力を正確に評価したい際は、複合して評価をするべきでしょう。

しかし学校や会社があなたを評価する際、「何をしたか」より「どれだけミスが少ないか」で判断される、いわゆる減点方式で評価される機会の方が圧倒的に多いです

そうなるとミスの少なさ、言い換えると「不完全の度合い」が評価に直結するという思考を形成しやすく、どんな事柄でも気にしすぎるようになります。

不完全というのは減点方式だからこその考え方です。
不完全恐怖症と減点方式による評価というのは、密接につながっていると考えています。

不完全恐怖症を克服するには?

不完全恐怖症を克服するには、これまでの経験で生じてきた「不完全」に対する認知のゆがみを修正することが必要です。

ということで・・・
一旦画面を見るのは止めて、周りにあるものを見渡してみましょう。

少しゴミが入っているゴミ箱、ゲームソフト、飲みかけのコップ、ショルダーバック、掃除機・・・いろいろなものが目に入ってくるでしょう。

それらは、はたして「完璧」、つまり欠点がひとつもないものなのでしょうか?

何をもってして完璧というのかはひとによって異なりますが、欠点が一つもないとはいえません。

ゲームソフトにはバグがあるでしょうし、コップも汚れが付かないものが理想です。
掃除機はサッと添えるだけであたり一帯のゴミを吸ってくれればいいですが、そういうわけでもありません。

何が言いたいかというと、どんなものでも
世の中にあるもののほとんどは、
欠点はあるが価値があるものばかりである
ということを肝に銘じるべきです。

むしろ、不完全だからこそ特定の用途への適性を高めて価値を生み出すことができます。

一方で、すべてにおいて完璧なものというのは、そもそも作れるかどうかも分からないですし、もし作れたとしてもそれぞれの用途への適性は、上記のものより劣るでしょう。

不完全なものこそが、世の中を発展させているといっても過言ではありません。

それは人間も同様だと思います。
完璧な価値ある人間になる必要はありません。一生かけてもなれるかどうかも分からないですからね。

ですので、不完全=無価値ではない、
不完全でも価値のある人間になれると思考を修正していきましょう。

今回は以上になります。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました!!!

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